冨樫のとんがりブログ

人が「本当の自分」に気づくためのメッセージを発信しています

「心の傷は一生」という絶望

この世の中には、自分の常識では考えられないほど繊細な人たちがいます。


僕はその中でも比較的鈍感な方ですが、
今まで出会ったたくさんの方に

繊細だね とか

感受性が強いね とか

言われてきたので、少しは傷付いてきた人の気持ちがわかります。




心についてアンテナを張っていると、
こんな言葉を耳にします。


体の傷は治るけど
心の傷は一生



聞いたことありませんか。



よくいじめ防止の啓蒙活動なんかに使われていたように思います。




僕は思うんです。




あなたのケガは、一生治りません





あなたの病気は、一生治りません







こんな風に言われたら、
そのケガをした人
その病気を患った人


希望を持つ人より、絶望感を持つ人の方が多いんじゃないでしょうか?




僕もいつの間にか


心の傷は一生


そう思い込んでいました。



だからトラウマも、
あの時の苦しみも、
絶望感も、
悲しみも、
心の痛みも


全部一生続くんだ……





そう思っていました。



でもそんなことはありません。



心の傷は、自分自身で癒すことができます。



だから今までたくさん傷付いてきたからといって、諦めないでください。


強く望めば、必ず望んだものがやってきます。



心の傷を癒したからといって、
傷付いた気持ちを忘れるわけではありません。


インフルエンザになった人は、
完治しても熱の苦しみを忘れませんよね?


骨折して入院した人は、
完治しても、あの痛み、病院食、退屈な時間を忘れませんよね?



傷を癒すことができると、
今度はその経験から、
人を癒すことができるようになります。


大丈夫だよって言えるようになります。



心の傷は一生、という言葉に振り回されないでくださいね。



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22世紀の寺子屋

22世紀の寺子屋

という名の会を始めました。


22世紀と聞くと、遠い未来のように感じます。


自分には関係が無いように思う人もいるかもしれません。




でも僕たちの "今" の選択の連続が、
人の営みの連鎖が明日を作り、
未来になります。


その連続した先に


22世紀がある


ただそれだけです。




つまり僕たちの選択したものが、
そのまま明日を作り、
22世紀を作るということです。



従来の日本の教育はピラミッド方式で、
トップが右向け右といえば右を向くし、
白といえば黒も白になるような教育でした。



今もなお、学校ではそのような教育をしています。



もともと学校は寺子屋が形を変えたものであり、
寺子屋では読み書きや計算を教えていたと言われています。


なぜそれを教えていたのかといえば、
生活をするのに必要だったからです。



元々農民の人々も
ただ畑を耕すだけでは生活することが難しかったのか、
商いを持ち、
複数の仕事をするのが当たり前だった
と言われています。


なので読み書きや計算が必要となり、
全国に広がっていったのでしょう。



つまり昔の寺子屋
今で言う学校は生きるのに必要なことを教えていたのです。



学校制度ができてから
およそ130年が過ぎましたが
現代の日本はと言えば、
ほぼ毎年のように
年間3万人が自殺し、
うつの患者は100万人を越えています。



昨日までの常識は今日、突然変わり、


例えばあのリクルートが「新・新卒制度」と銘打って、自ら新卒のルールを改革。

内容は
・27歳までを新卒とする
・内定後2年間、就業まで猶予を与える

というもの。



国は副業を勧め
フリーランスを応援し始めました。


会社員の税金は増える一方で、
それを軽減するつもりはないようです。



SHARPのように、
日本の会社を台湾の会社が買うことが起こったり、
今まででは考えられないようなことがどんどんと起こっています。



そんな中でも、人は今を生きていきます。



でもみんな迷っています。



どこに向かうべきなのか、
何をするべきなのか。




学校では答えを教えてくれません。

でも学校では、答えしか教えてくれません。



つまり学校で教えてくれる「回答」の中には、
もう僕たちが生き抜いていくための知恵はありません。






ではどうするのか。





自分で考えるしかありません。






自分で考えられないなら、
考え方を教えてくれる人に出会うしかありません。





周りにいないのなら、
そういう人たちにどうしたら出会えるのか
考える必要があります。





つまり自分で考えるということです。






これからの時代では、
自分で考える力が必要です。






右向け右で周りに流されるだけで、
自分の人生を生きていると言えるのでしょうか。






考える力を身につけ、
自分の今を変えることで、

明日を作り、

1週間後を作り、

1ヶ月後を作り、

1年後を作り、

10年後、20年後を作り

未来を作り、

22世紀を作り、

また歴史を作ります。




自分で考え、
選択する力を身につける。



それが22世紀の寺子屋の目的です。




考えましょう。


選択しましょう。




僕たちの今が、

子供や孫、

地球の未来へと連鎖していきます。


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次回開催日はコチラ

Facebookのイベントページです。

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与えるということ〜今の僕編〜

最近、僕に対して

「冨樫さんは本当に与える人だね」とか
「もっと与えていくんだろうね」とか

有難いお言葉をいただくことが増えました。


僕は元々、与えたい!と強く思っていましたし、そういう特性もあるようです。


実は遡ること17〜26歳の間、僕は家族の影響で、とある宗教団体に属していました。
本当は自分で選ばない教義に同意するのは嫌だったのですが、家族への感謝もあって、イヤイヤですが入ったのです。


ただ内容は本当に素晴らしいことを言っていて、

「愛は与えるもの。奪うものではない」とか
「与えたら与えられる」とか

そんな感じのことに重きを置いていたと思います。


当時、全く信仰には興味がなく(というより神道だったので…)、祈りも唱えず、集まりにも参加していませんでしたが、理想とする世界は似ているような気がしました。



僕には当時、「音楽で人の心を救う」という夢があったので、「愛を与えるとはどういうことなのか」真剣に考え続けていました。


ただそもそも人に受け入れてもらえたという実感が全くなかったので、愛するということがどういうことなのか、全くわかりませんでした。

物を与える、行動で示す以外、与え方がわかりませんでした。


とはいえ僕も未熟で器も小さく、たくさんの人を傷付けてきました。
それについては深く反省しています。



そして今、ようやく人から「与えてもらった」と言ってもらえるようになりました。



でも僕は思うんです。

たとえば飼っている猫に餌をあげる時、「ご飯を与えたるという表現をしますよね?

でもその猫が、ご飯を全く食べなかったら、それを「与えた」と言えるのでしょうか?


僕はなんだか、違う気がしてなりません。



この宇宙は、授受作用で成り立っていると言われています。

循環の理も、放つ側と受け取る側がなければ成立しません。


たとえば水の循環。



雨が降る

山に染み込む

川となって海に流れる

海の水が蒸発して雨が降る…



これもほとんど同じですよね。



だから僕は思うんです。


与えたいと思う反面、僕は与えてるというつもりは全くありませんし、

与えることができた!やったー!

とも思っていません。



受け取ってくれる相手がいるから循環する。


つまり僕は



【与えさせていただいている】



ということなんです。


僕にできるのは、
放つことだけです。



受け取ってくださる方がいるから、循環できる。


本当に感謝しかありません。



僕はこれからも放ち続けます。

占いの魔力

僕は占いをしています。

主には、スピリチュアルナンバー
それとタロットカードリーディングです。

※現在は無料で占っているので、気になる方はお知らせください。
https://www.facebook.com/hiro.togap


そして知人には四柱推命
親友は算名学。


なんだかいろいろとご縁があります。


だから僕は知っています。



占いは当たります。




ただ注意する必要があります。
タロットカードに関していえば、

タロットカードリーディング

というぐらいなので
リーディングすることが重要なんです。

なぜならカードは必要な物が出てくるからです。
だからタロットカードで占いをすることを

タロットカードリーディング

というし、
タロットカードで占う人のことを

タロットカードリーダー

といいます。


でもタロットに限りません。
Yahoo知恵袋なんかにもたくさん、
たくさん書いてありますね。

「彼の気持ちが知りたくて、タロットを引くんですが、全然わかりません。不安で不安で…」

そりゃ、わからないでしょ…



不安から占いをする人
エゴが強い人



理由は省きますが、
こういう人は占いをできません。



というか、占いは占い師の人間的な力量が試されます。

僕に限っていえば、受け取るときには
僕のフィルターを極力通さない
つまり「For You」
にならないと、
僕はメッセージを読み取れません。


僕も完璧な人間でない以上、
24時間「For You」でいることはまだ難しいです。
特に顕著なのが、自分で自分のことを占う場合です。
占いの結果を、自分の都合のいいように
解釈してしまうことが稀にあるからです。


インプットするときには
そういう「頑固」のフィルターを消し、
自分のフィルターを通すのは
アウトプットするときだけです。


すると不思議なことに、
後から気付いたり、
今やるべきことが明確になったりします。


タロットに関していえば、
「これをしなさい」ってハッキリ出てくることもあります。
つまり占いはフワッとした「今日の運勢」
みたいなものではなくて、
現実に「こうしなさい、これに気をつけなさい。するとこういう結果になる」というものなんです。


そしてそれを伝える際には、
占う側の力量が試されます。


ネガティブな人は
否定的な言葉で相手を裁くし

ポジティブな人は
相手が希望を持てるような言葉を使う


だから自分の在り方が大切なんです。

・これはダメ
・こうしなさい
・こうするべき
・危ない

僕はこんな言い方をする占い師は基本的に信用しません。


みなさんもご注意ください。

そして人生の一部として、占いも楽しんでいってもらえたらと思います。



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「ジブン解放セッション」

自分を抑圧したために疲れた心を癒し、前向きな気持ちで人生を生きる後押しをする

ジブン解放セッション

鋭意準備中!

寺子屋をやりたい!!!

僕は寺子屋をやりたいんです。
でも寺子屋であって、寺子屋でないのかもしれません。


僕は教育者になりたいわけではありません。

マイケル・ジャクソンもこう言っていました。

【 世界最高の教育とは、その道を極めた人におしえてらうことだ 】



僕はどんな道も極めたわけではないので、今の僕が教育者となり、仮に教え子というものができたとしたら、彼らに気の毒です。




そうではなくて


自分で自分のことを
考えられる人を増やす



ということです。




正解は重要です。
でも全てではありません。



何が正しくて
何が間違っているのか


考えなさいよ


ということなんです。



日々の悩み、
困っていること、
人生の迷い


みんなでシェアしあって、
考えましょう。



どうやって乗り越えるか
気付くために
みんなで考えましょう。



だって、正解を教えてもらっても、
あなたは納得できないでしょ?


ということなんです。



悩みの解決なんて一瞬です。
でもそれが腑に落ちるかどうかで、解決に向かうかどうか、全く違います。



だから考えよう。



そのための寺子屋をやりたいですね!




だから僕は先生にならないし
教育者にならないし
コンサルもしません。




みんなでやりましょう!

今が最高じゃないなら

あの時は良かった…

あの頃に戻りたい…

高校生の頃に…

中学生の頃に…

小学生の頃に…






時々いますね。
過去が大好きな人。


僕は

過去の自分も
自分の過去も

大嫌いでしたけどね笑



今の僕は自信を持って言えます。





今の自分が最高だ。


今が人生で一番楽しい。




だって人は成長していくんだから。




花だって同じですよね。




始めはどこにあるかもわからない
誰にも気付かれない
地中に種があるからです。


芽が出ても、それだけではどんな花かはわからない。
踏まれるかもしれない。


そして折れて
曲がって
踏みつけられても



やがて花をつけます。



それが美しいかどうか
それはその人の価値観でしょう。




でも必ず花を咲かせます。




そして朽ちる時には
次の世代へと何かを残すんですね。




僕たち人間も同じじゃないかと思います。




枯れる時に


枯れる前は良かった…




とか思ってる場合じゃないですよ。



そんなことより



次に
未来に



何かを残す方に力を使った方がいいんじゃないでしょうか?






ぶっちゃけ言いますけど




今より過去の方が良かったんなら



今生きてる意味なくないですか?








たとえ今苦しくても



味方がいなくて
友達がいなくて
孤独で
話し相手もいなくて
体もボロボロで
心もガタガタで
お金もじゅうぶんにない





それに比べて、過去にはなんでもあった








でも、過去には戻れません。







そんな妄想をしていても、現実は何一つ変わりません。







今あるもの全てを使って
未来を作るしかありません。





過去が最高なんだったら




また必ず、最高になるサイクルが未来にある




そう強く信じるしかありません。








何を言っているんだと

そんなことを言われてもよくわからないと

昔の僕なら思ったかもしれません。




でも今は、強く信じることができるようになりました。









僕はネガティブが悪いことだとは思いません。




でもそのネガティブが
人をよくない方へ導くのだとしたら





そのネガティブ、
全て覆し続けます。








そうすれば必ず





今が最高だ






誰でもそう言えるようになると
信じているからです。







今が最高です。





いやむしろ






全て最高です。

神は信じないという驕り

僕は以前、とあるミュージシャンにこんなことを言われました。



神は信じない。



僕は信仰は自由だと思っているし、それについて間違っているとか言うつもりはありません。


ただ僕の人生を振り返ると、

あの時も

あの時も

あの時も



全て今に繋がっているんだなと感じます。


そしてそのタイミングには、必ず人との出会いがありました。


それ以外にも、作詞作曲をしていると、とても自分の思考では生まれてこないような言葉が沸いて出てくることは、たくさんあります。



歌っていてもそうです。
歌っている時、確かに歌っているのは僕自身ですが、何かに操作されるように歌っていることはよくあります。



僕は神道を信仰しているので、神様を信じています。



神様を信じないという人は、恐らく神様だけではなく、他にも信じていないものがあるはずです。


そして、見えないものを信じない人は、ある時、ある瞬間、起こる出来事全てが


自分の力


と思っているのかもしれません。




僕は不思議な出会いを何度も経験しました。



僕の人生を変えてくれた友人。


たった一通の、見知らぬ方からのメッセージが始まりでした。




それが果たして僕の力でしょうか。


全くそうは思いません。




この宇宙は全てが必然です。



ただベクトルは



全てを信じるか

全てを信じないか



どちらかしかありません。





全てが自分の力だと思うのは、
とてつもない驕りのように感じます。




大切なあの人も、
好きなあの人も、
尊敬するあの人も、


全て意味があって生まれてきています。



そしてその人達がいなければ、
今の自分はありません。




そう考えると、
僕は神様を信じずにはいられないのです。