冨樫のとんがりブログ

人が「本当の自分」に気づくためのメッセージを発信しています

周りに馴染めない変人たちへ

僕の周りで、学校に行けない人というのがいます。

小学生だったり

中学生だったり

高校生だったりします



いわゆる不登校ですが、

僕は正直、学校に行きたかったら行けばいいし、

行く必要を感じなかったら行かなきゃいいと思います。



「やりたいことがわからない」という人たちがいて、
なぜやりたいことがわからないのかという話をします。



今あるたくさんの仕事や本、インターネットから、ある程度、どんな仕事があるか探すことができる現代において、やりたいことがわからない。


不思議に思う人もいるかもしれませんが、
僕には不思議は全くありません。


10年前に、いったい誰がスマホの到来や、科学の根底が覆ることや、小学生のなりたい職業ランキングに起業家・経営者・フリーランスやユーチューバーが入ることを予期できました?


今から65年前には、テレビすら放映されていませんでした。

ちなみにCDもありません。


僕も今やっている仕事が、やりたいことだなんて思いもしませんでした。



何が言いたいかといえば、



これからの時代を作る人なんだから、
やりたいことがわからなくて

当たり前


なんですね。





人生の軌跡を辿れば、

生死について考えたり、
存在意義について考えたり、
夢について考えたり、
成功について考えたり、
お金について考えたり、

それはもう全て必然としか言えないのですが、

義務教育の15年間、
高校生活の3年間、

どちらも、行っても行かなくてもどちらでもよかったなと思っています。



ウソです。
本当は、時間のムダだったと思っています笑



大切なことは、


それが自分の選択かどうか


ただそれだけです。



本当に心から望むことなのか。
それが重要です。



僕はいつか、
学校に馴染めなくて
自分が嫌いな子供たちに


大丈夫

あなたが学校に合ってないんじゃない
学校があなたに合ってないんだ!

さあ、これからの時代を作ろう


そんなメッセージを伝える講演会をしていきたいと思っています。



何かが悪いんじゃない


自分の人生は、自分で決める。


それだけの話です。



心に従う生き方を応援します。

悲しみを取り戻しました

僕が最後に悲しくて涙を流したのは16年前でした。

当時、3年間片想いしていた女の子に、告白せずにフラれるという出来事があり、悲しいのか悔しいのかで涙しました。


それ以降、失恋しても秒で立ち直る術を身につけたり、傷ついても振り切る術を身につけたり、悲しさとはどんどん無縁になっていました。



6年前に、大好きなおばあちゃんが死んだ時も、全く悲しくありませんでした。


人は誰でもいつかは死ぬよな


そんな風に日々思っているので、お別れが悲しいなんてことも思うことはなくなりました。



なので、悲しいとはどういうものか、ほとんどわからなくなってました。
共感はできるけど、実感はできないような。



そんな僕が、久々に悲しみを取り戻しました。



何があったのか端的に言えば、

信頼している人に傷つけられた


ただそれだけです。




今までの人生で、さんざん人に傷つけられ、否定されてきて、もう慣れたものだと思ってました。


慣れすぎて、多少のことで改めて傷つくこともないし、傷ついたからって感情が変化することもなかった。

でも気づくと、心がギューっとなっていて、受け取れない状態になってました。


それを緩めて気付いたんです。


傷ついたなって感じて、悲しさを感じて


16年ぶりに悲しくて涙しました。


受けとめてくれた人、僕のために怒ってくれた人

たくさんの人が支えてくれました。


本当にありがたいです。





そしていま

悲しみを感じたことで、封印していた感受性のセンサーがさらに解放されて、ちょっとした話でもウルっときてしまうようになりました。


30歳になって泣き虫になるとか、あんまり笑えませんが、この感情は必要なものだったんだなと思います。



悲しいこともあったけど、その10倍は嬉しいことがあったので、よしとします!



人生何が起こるかわかりませんね。

自分にはこれしかないという幻想

よく「自分にはこれしかできないから」という人がいます。


僕はもともとミュージシャンなのですが、

ミュージシャンの中にはたくさんいました。



僕はよく、


天才ってどんな意味だと思う?

才能ってなんだと思う?


ってよく問いかけます。




「あの人は天才だから」

「あの人は才能があるから」


って、どんな時に使いますか?


その「あの人」が、

うまくいっている時

じゃないでしょうか?




つまり才能とは、その能力を使って、「うまくいっている」と、才能と呼べるんじゃないでしょうか?




自分にはこれしかないから…



本当にその才能があるなら、

うまくいってるはずですよね?




とかいうと、


自分には才能がないから


という人がいますが、本当に失礼な話ですね。




自分は人生で何一つうまくいったことがありません

と言ってるようなものです。



もし本当にそんな人がいるなら、

いま、生きてるのはおかしいんじゃないですか?

生かされてるから生きてるわけですよね?

なんらかうまくいったから、生きてるわけですよね?


生かされている感謝も知らない

そんな人に誰が協力しようと思うんでしょうか?



才能がないという幻想


早く捨ててはいかがでしょうか。

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30歳になりました!

5月20日に、誕生日を迎えました。

 
たくさんのお祝いメッセージ、ありがとうございます!!
本当に感謝しています。 

 
ついに30代。
 
人生4分の1が終わりました。
 
※人は寿命をまっとうすると120歳まで生きるらしいです笑
 
 
 
20代がようやく終わりました。
 
20歳、僕はまだ苦しみの中音楽をしていました。
 
23歳、僕は葛藤の中音楽をしていました。
 
27歳、夢が望んでいないものだと認め、手放しました。
 
29歳、ようやく自律に向かい始めました。
 
 
 
 書きたいことがたくさんあります。
 
 
でも僕が言いたいことはただひとつ。
 
 
 
生かされて、いまがあります。
 
 
 
人を殺したいほど憎んだこともありました。
 
うつにも2回なった。
 
もう死んだ方が楽になれるんじゃないかって思ったこともあった。
 
28年間、人生に希望を見たことはなかった。
 
人を信じることもできなかった。
 
 
何度も何度も何度も何度も
 
苦しくて全てを投げそうになったこともありました。
 
 
 
でも僕はいま、生かされている。
 
大切な友人、
 
信頼してくれる仲間、
 
愛する恋人、
 
応援してくれる方たち
 
 
 
天に、そして人に生かされている。
 
 
 
 
まだまだちぐはぐな僕の人生ですが、
 
ひとつひとつがパズルのようにハマっていくことも感じています。
 
 
 
人に導かれる存在から、
 
人を導く存在へ。
 
 
そんな大仰なことではありません。
 
 
こっちにも道があるよって示すこと。
 
 
それが僕にとっては導くということ。
 
 
そして僕はその道をいく。
 
 
後から来た人が、それを先導者と呼ぶのでしょう。
 
 
 
 
僕が求めた大人に、自分がなっていくのを感じています。
 
 
 
 
まだ30歳。これからどんな人生を送るか。
 
もう決まっているような気もしています。
 
命ある限り、燃やし続けるのみ。
 
 
僕は僕の役割を果たし続けます。
 
 
僕を支えてくれているみんなに感謝しています。
 
 
 
 
死ぬまで生きるぜ!

社会人として

電車で隣のスーツを着た女性が、

「社会人らしい話し方ができない」とかいう見出しのある、マナーサイトを見ている………



社会人て何人やねん!



僕らは日本人。

世界一、和を大事にする国民。


その和の心は、相手を尊重する気持ち。

そして感謝の気持ちから生まれている。



でもどの親も教えてくれない。


場合によっては教えてくれるのは先生。


江戸時代では、商人の子供は15歳までに、人前に出しても恥ずかしくない仕草、言葉遣いを学んだという。



マナーは生きている人間から学ぶ。

それは和の心。



学ぶことは素晴らしいこと。

でも語源は"真似ぶ"

つまり、相手を真似るところからきている。

20歳も越えてから、インターネットや本で学びはじめる社会はおかしい気がしてならない。


手本がいないってことですよね。



みんな社会人ではなくて、日本人であり続けたらいい。



これが日本人の在り方だ。



そう言える大人で在ろう。

説教おじさん

誕生日を目前にして、もうすぐ20代が終わろうとしています。

もう世間的には「おじさん」の部類に入っている年齢ですが、子供にバカにされるような「おじさん」にはならないように、鍛錬を続けていきます。


※そう言えば、以前お会いした年商6000万円の事業主の方は「自己啓発をしていない大人は子供にバカにされるんですよ」と言っていた


そして「おじさん」と言えば、世間では色々なおじさんがいて、


小学5年生から全く中身が成長していないような、

「セクハラおじさん」

いつまでも15歳のような、自分が正しいと言ってはばからない、

「自分の意見ゴリ押しおじさん」


娘が生まれて、奥さんにできない分まで過剰に甘えたり、いちゃいちゃしようとする

「気持ち悪いおじさん」



などなど、色んなおじさんがいると思いますが、今回はその中でも、誰でもおち入りそうな

「説教おじさん」

についての話。





説教おじさんの口ぐせは、

「お前のために言ってるんだ!」です。



芸能人のドンなんて言われてた方、言われてる方もよくこんなセリフを言ってますね。



はっきり言って余計なお世話ですよね。



本当に相手のことを思っているなら、

自分が言ったことが、

今相手に必要なことなのか

相手の心に届いているのか

相手が欲していることなのか

ちょっとぐらい顔色見ません?


相手が反発してるのに、
「お前のためを思って〜」だなんて、笑えちゃいますよね。


反発すると話が長いから、とりあえず受け止めて、自分の言いたいことを堪えてるだけなのに、心に届いていると思っているあたりも笑えてきますね。




僕も人に、色んなこと言います。
ああした方がいいとか、こうした方がいいとか。


感動してくださる方もいれば

すぐ行動に移してくださる方もいれば

涙を流して、自分の今までを振り返ってくださる方もいれば

何もしない人もいます。



一体僕に何ができるのかと言えば、大したことは何もできないかもしれません。




でも僕には伝えたいことがあるから、
何度でも言い続けます。



必要だと思うことを伝え続けます。



説教おじさんにはなりたくない。

でも、相手にそう思われてもいいんです。



僕が見ているのは、相手が幸せでいられる生き方、ただ一点。



だから僕は成幸おじさんになります。


みんなの幸せは、まず自分から。


どんな人にも必ず幸せの可能性がある。


全てを受け入れた時が始まりです。


だから僕も、おじさんになることを受け入れます。


おじさんになっても、おじいさんになっても
僕の軸は何も変わりません。




でも、とはいえ素敵なおじさんで在りたいものです。

コンサルタントとして生きる覚悟が決まる

いよいよ、コンサルタントとしての中心が定まりました。

まだ言語化できない部分もありますが、既にクライアントが。


そして自分のコンサルティングは一体どんな価値を提供できるのか、深堀したら、なぜかポエムが生まれました笑


先の投稿にも書きましたが、どんだけポエマーなんでしょう笑

書いてる途中は「またポエムか笑」って笑いながら書いたのに、何故か読みながら泣いていました。


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夢に見る奇跡が起きる、命の輝き

失くしたものを見つけに行くのは

限られた時間の中で

見たくないものの中に眠る

金剛石のきらめきは

今花開く 蓮よりおだやかに

揺るぎない真実は あなたの中に

芽生えた想いは 神様との約束

今、垣根を越えて 全ては一つに



 

 

サムライコンサルタント

冨樫 ひろみち