ジャッジしない
最近めっきり聞かなくなった気もしますが、1年ほど前でしょうか。
しきりに僕の周囲で
ジャッジしない
という言葉が囁かれていた気がします。
どういうことかというと、言葉通り
人を裁かない
ということですね。
具体的に言うと、
「全部自分が悪い」
と言って、自分を責めない。
「あの人はいつもそう。あの人最低」
と言って、他人を責めない。
自分や、他人のすることに対して、いちいち
それはいいとか、それは悪いとか、裁かないということです。
僕は普段、自分の考えや真理についてのお話をしていますが、良いとか悪いとか、全く考えていないし、思ってもいません。
ただやはり現実は自分の心が作るもので、話を聞いた方はしきりに「それは良くないですよね」なんて、ジャッジしたりするんですよね。
ただ聖書の中で、イエスはこのように言っています。
「人を裁くものは、裁かれるものになる」
深いですね。
※僕は特定宗教には帰依していません。
日本でも昔からありますよね。
「罪を憎んで、人を憎まず」
深いですね。
何か過ちを犯した時、責めるのは人ではなく、その行いであるということです。
ただ「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なんて言葉もあるように、人の感情というものはそれほど割り切っておけるものでもありません。
でも冷静に考えて、自分が何か過ちを犯した時に、自分の全存在を否定して責めたり、自分の価値観のみに基づいて善悪を決めつけるのは、果たしてあなたが紡ぎたい未来なのでしょうか。
自分の考え方、在り方が周りに伝播します。
被害者意識を捨てて、自分を責めるのをやめることで、あなたは誰にも裁かれない在り方に向かっていきます。
人を裁くという言葉の「人」は、自分も含みます。
人を裁くのをやめる
ジャッジをやめる
全部手放しても、あなたは愛されます。
だから安心してください。